ライター心得帳(1)~認知心理学の基礎知識 ~

翻訳はマニュアルとセットで発注されることの多い業務です。多くの場合、複数言語に翻訳し、DTP編集します。ベースになる日本語のライティングから依頼されることもあります。そんなときは、専門のマニュアルライターが担当します。
日本語だから誰にでも書けそうなものですが、実際には様々な決まり事があります。しかし、そのほとんどがマニュアルに限った話ではなく、ライティング全般に通じるものだと思います。
ここでは一般的な「ライティングルール」をご紹介します。参考にしていただける部分があれば幸いです。

1. 短期記憶と長期記憶
そもそも「解る」とはどういう状態なのか、ユーザーはどうすれば「解りやすい」と感じてくれるのか、について考えます。
認知心理学では、次のような基本モデル(二重貯蔵モデル)を使って「解る」という心理状態を説明するそうです。

短期記憶のサンプル①
よく用いられる短期記憶のサンプルは、次のようなものです。
 A 135789712376851299876
 A’ 1357897 1237685 1299876
一度に21文字を記憶できる人は特別な訓練を受けた人でしょう。実際には、無意識に7±2程度の単位で区切り、記憶しています。この1単位(7±2)を、マジカルナンバーといいます。

短期記憶のサンプル②
次の例になると、もっと多くの文字を記憶できる可能性があります。
 A SHARPSONYPANASONICJVCONKYO
 A’ SHARP SONY PANASONIC JVC ONKYO
 B 阪神巨人横浜広島中日ヤクルト
 B’ 阪神 巨人 横浜 広島 中日 ヤクルト
Aがメーカー名と気づく人にはSHARPが1単位になります。Bが球団名と気づく人には阪神が1単位になります。この1単位をチャンクと呼びます。(情報のチャンク化)
ただし、メーカー名や球団名を知らない人にとっては、この文字列もサンプル①と同じです。情報のチャンク化は、受け手の長期記憶(知識)の中に必要な情報があることを前提としています。

2. 情報のチャンク化
文章を解りやすくするには、まず情報をチャンク化することです。

情報のチャンク化=単文
一般に「一文一意」と言われるのは、複雑な操作を説明する場合も、情報をチャンク化して、一つずつ説明しなさいという意味です。
重文、複文を避け、なるべく単文にする理由も同じです。
一つの操作について、その操作を確認する画面やインジケーターの表示を記載することも、操作を区切る意味があります。(実機操作上も同じです。)

文章におけるチャンク化
読みやすい文章にするための句読点なども、チャンク化と言えます。
 (1) 句読点を入れる。
 (2) 箇条書きにする。
 (3) 「 」や( )を使う。
 (4) 小見出しを追加する
 (5) 段落を付ける
 (6) 漢字とかなの比率を考慮する

上記は日常的に行っている事例ですが、意識的に行っているかどうかは疑ってみる必要があります。
一貫しない句読点の打ち方や、意味的にまとまっていない段落などは、悪文の原因になります。

3. 符号化とメンタルモデル
短期記憶を処理して長期記憶に貯蔵するために、人間は必ず符号化を行います。
バナナを見て、それがバナナであると認識するためには、バナナ自体とバナナという言葉が一致しなければなりません。マニュアルで使う言葉そのものが符号ですから、ユーザーの知らない言葉を説明抜きで使ってしまえば、それだけで「解らない」という結果になります。

メンタルモデル
人はそれぞれ自分の世界を持っています。個々人の知識は当然限られたものであり、その世界は不完全なものです。しかし、その不完全な知識を、誰もが自分流に整理して一貫させて持っているのです。
誰かに何かを説明するということは、相手のメンタルモデルにアクセスし、その自分流の世界を組み替えてもらうことになります。「なるほど、こうなっているのか」と思ってもらえれば、新しいメンタルモデルの完成です。

メンタルモデルに配慮した表現
①相手のメンタルモデルを徹底して研究する
ターゲットユーザーを絞り込めるときは有効です。
②相手の知識量に応じた説明をする
パソコンなど予備知識の少ない商品では、説明の詳しさより解りやすさを優先します。とりあえず必要な情報に絞り、あれこれ説明しないことです。一番の成功例は、MacOSです。
③図やイラストを多用する
新しいメンタルモデルを形成してもらうためには、論理より視覚に訴える方が有効です。
④例えを使う
例えはあくまで例えであると認識されることが重要です。例えをそのまま理解されると、思わぬ誤解を生みます。
⑤意味を先に述べる
チュートリアルマニュアルの思想とは逆になります。「何のために」を先にすることによって、長期記憶からの検索効果を高めることになります。
⑥題目語(トピックセンテンス)や概要を前に
かつて音楽プレーヤーのマニュアルでは「選曲操作(頭出し) 」の説明をカセットテープのイラストで説明していました。発売当初は大半がカセットプレーヤーの買い替えユーザーだったからです。
しかし、操作によっては、最初にテープを前提としたメンタルモデルを壊しておくという方法が必要な場合があります。冒頭に概要を図示して説明している場合などは、あらかじめ既存のメンタルモデルとは違うものだと理解してもらう意図をもっています。

第二回は、人はどういう時に「解った」と感じるのかについて考えてみたいと思います。お楽しみに。

ライター心得帳(2)に続きます。